ビーチボーイ&ビーチガールのクロニクル

南国ビーチで、ゼロからリゾートを建設し、営業し暮らした記録です

フィリピンスタイル

フィリピン人やこの国に住む外国人が良く使う言葉に、「フィリピンスタイル」がある。


良い意味で使われることは、少ない。


例えば、ドコデモドアならぬ、何処でも立小便、とこでもゴミポイ捨て、窓口やエレベーターなどでの割り込み、ルールのない車の運転などの全て自分中心のマナー編。


これらは旅行者でもすぐ分かるフィリピンスタイル。




そのほかに、実際にこの国に住んでみて、徐々に判ってくる「フィリピンスタイル」もある。


私の記憶では、立小便やゴミのポイ捨ては、昭和30年代までの日本でも普通にあったと思う。




先進諸国では低民度、非常識に分類される事柄が多いので、普通の外国人はこれを侮蔑するし、見下す。


しかしこの「フィリピンスタイル」こそが、フィリピン(人)がフィリピン(人)である由縁である。


善悪の問題と云うより、この国の、この国民のひとつの「文化」である。


この国でそれを全面否定することは、出来ないと思う。


なかには、公衆マナーや礼儀をキチンとわきまえた、特殊(?)なフィリピン人も少数いる。


だが皆が皆そうなってしまったら、もうそこはフィリピンではないと言える。


思うに私は、この「フィリピンスタイル」は利用すべき、時に応じて我々外国人も使いこなす事が便利だ。


例えばの話し、
借りたお金を返してくれと催促された時に、「おカネない!」
(もっとも、日本人がフィリピン人からお金を借りるケースは少ないが。)


何かミスをした時に、「忘れてた!」「知らなかった!」
と言う返事は、この国では立派な回答、反論できない答えなのだ。



―――その代わり、(どうだっ!文句ある?)という居直りのニュアンスで発声し、けっして(ごめんね・・)という感じで言ってはいけないが。―――


そうすると相手も「じゃ、仕方ない。」と横柄にあきらめ納得してくれる。


非の打ち所のない言い訳、パーフェクトなのだ。


大多数の欧米人や日本人からすると変な思考回路ではある。


腹を立ててはいけない。


我々もこのいい加減さ、ナアナアな共済を享受するのだ。


このフィリピン思考は、考えようによっては、非常に便利なシステムではないか。


日本人的に、申し訳ない、私が悪うございました、反省、以後気をつけます、とかは、この国のマジョリティーは言わない、考えない。


悪いことは、全て人のせい、社会のせいで、自分は正しい、何一つ悪くない、と思っている人が多いかも。



しかしこの便利なシステムの借用も、居心地の良さから、限度が過ぎると私自身が「フィリピン人化」して、今度はこちらが日本人としての、と言うより、私としてのアイデンティティを失うことになる。



従って、この「目には目作戦」は、ごく特定のフィリピン人を相手にした時の限定作戦ではある。

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