ビーチボーイ&ビーチガールのクロニクル

南国ビーチで、ゼロからリゾートを建設し、営業し暮らした記録です

日本人の行儀

(見にくい写真で申し訳ない。左側に改札、中央から右端に向け1列の人)



昭和20年にアメリカ兵が撮った東京の未公開写真が発見された、とのニュースがありました。


興味深い写真が多いのですが、その中の1枚に私の目が留まりました。


冒頭の写真であります。



東京のどこかの駅の改札風景。


切符を切る駅員の入っている、『木の枠』が懐かしい。


しかし私を感動させたのは、人々が整然と一列に並んでいることであります。


足元に何のラインもなく、またパイプの枠も無いのに。


混乱の終戦直後の写真ですよ。


(多分コレを撮った米兵も、自然と並ぶ日本人に興味を持ったのだと思う)



私は1971年、モスクワでソ連人(当時はロシアでなくソ連邦だった)が長々と並んでいるのを見たことがある。


何かの配給チケット?支給の行列だった。


つまりそれは強制された行列だから、冒頭画像の改札のように自然にできたモノではないと思う。






さて、フィリピンの人達は並びません(特に田舎では)。



だいたい全員がこういう場合、われ先にと競っていきます。


薬局などのお店で物を買う場合、バスに乗る場合、映画館や船の切符を買う場合、お役所など各種窓口もそうです。


人々が、窓口を中心に扇状に群がり、割り込みもしょっちゅうあります。


日本人からすると、見苦しく、『行儀が悪い』のです。


では60年前のフィリピンはどうだったのでしょうか?


おそらく今と同じでしょう。




話は変わって、包丁やハサミ、カナヅチやレンチなどを人に渡すとき、日本人なら10人中9人は持ち替えて、相手に握り手側を差し出すでしょう。


フィリピンでは、私の感じですが、10人中9人はそのまま持ち替えずに相手に渡します。


日本で言えば子供と同じです。



先の『並ぶ事』もそうですが、公衆道徳、ひと様のことや他人の気持ちを慮(おもんばか)り、自分の行動に配慮すること、それがこの国の人は苦手です。


それがかろうじてですが出来るのは、相手が親戚や仲間内に限定された場合と、マナーとしてそれを学んだ都会の洗練されたフィリピン人だけのようです。


私が思うに、こういう習慣というものは、自ずから親から子、子から孫という風に自然に伝わっていくものだと思います。


したがって生半可なことでは変わりません。


日本の人がよく云う東南アジアのいわゆる貧しい国の人々の純朴さ、陽気さ、島の子供達の屈託無い笑顔や昔ながらの生活、家族親族中心の生き様、こういった在りようをそれらが少なくなった日本人は、時として羨望のまなざしで長所として捉えます。


けれども、その裏返しとして上記のようなことは必然的にあるわけです。


確かにフィリピン人のホスピタリティは、旅行者を心地良くさせます。


外人観光客をもてなす日本人と通じるものがある、と思います。



またごく一部の地域を除けば、報道されるほど危険な国でもありません。


むしろ地方では今の日本より安全です。


フィリピンに限らず何処の国も同じだと思いますが。




マァしかし、ここは外国、よそ様の国です。


私は外国人、居候です。


日本と比較してア~ダコ~ダとケチをつけるのは、話す相手を日本人に限ったとしても、あまり誉められた事ではありません。


しかしながら、『郷に入れば郷に従え』という言葉を逆手に取り、曲解し、万事『フィリピン人化』してしまう日本人には、腐ってもこのフウテン、成りたくはありません。





以上は他のブログ記事同様、10数年前の私の記録を掘り起こした”クロニクル”です。
2021年11月現在のフィリピンは、変わってきているかも知れません。
しかし今2年近く、いわゆる『コロナ禍』にあり、そしてここにきて、欧米の国々の感染が再々拡大している中、何故か日本は激減している。
それは上記のような日本人の行儀の良さ、ワクチン接種率やマスク着用順守など、お上(かみ)の言う事に従順に従う大人しさ、そんな特質が反映しているのかも知れません。
良し悪しは分かりませんが、デモも暴動も略奪も起こらない草食人種?のような現代日本人。

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