70年目に生まれ変わる
(上は、70数年前の古民家を解体したときに現れた柱の基礎である)
ビーチに出るゲートを作るにあたり、まずは頑丈なドアヒンジ(蝶番)を作ることが必須だ。
欲を言えばステン(レス)の厚板だが、ここではそんな贅沢は言ってられない。
私が目をつけたのは、コレ(上の画像)だ。
鉄のフラットバーが半分埋まって、まるで、おあつらえ向きだ。
もともとはセメントの基礎と木の柱を繋ぐ金具であるが、このステーは、厚さが9ミリもある、しかも表面しか錆びていない。
70数年前の良質の鉄材だ。
おそらく村の鍛冶屋の手作りだろう。
今はこんなものは探しても、このご時勢では売ってはいない。
(電動グラインダーでカットする)
次がこれだ。
(1番上だけカット済み)
買ってきた3/8インチ径の水道管・・・残念だが現代の品だ。
蝶番のキー(心棒)を通す部分に使う。本当はもっと肉厚のパイプがあればいいのだが・・・ない。
更にこれ。
キーに使う鉄棒、太さ10ミリ。
この鉄棒は、もとはボロ屋から出てきた鉄筋棒だ。
いわゆる丸棒(鋼)!なのだ。
今のコンクリート用の鉄筋は下の写真のように、表面が凸凹の波状になっているが、昔の鉄筋にはこの『ヒダヒダ』は無かったらしい。
噂では、表面を波状に工夫したのは日本人だという。
これが有ると無いとでは、構造物の強度がかなり違ってくる。
これら寄せ集めのパーツをカットして、このような部品を作るのだ。
(穴が足りないので、あと一つづつあける)
村の溶接屋に持っていって、溶接してもらう。
はっきり言って、あまり上手ではない。
料金設定は、つかった溶接棒の数による(これは合理的だ)。
1本あたり30ペソ(75円)、7本使って210ペソ。
これを200ペソにしてもらった。
日本流では安いかも、だがフィリピンでは安いとは言い難い。
(溶接後)
手に持つとズッシリと重い、こんな頑丈な蝶番はハードウェアショップでは無い。
シッカリ働いてもらうよう、無論、穴を足して磨いて、さび止めを塗って仕上げる。
70数年前に建てられた古民家の基礎が、年月を経てゲートの蝶番に生まれ変わった。
かつて日本が誇った世界最強・最大の『戦艦大和』の艦内で、最もチャチ?と思われるトイレの蝶番でも、きっとこんな感じだったのだろう。
そういえば戦艦大和は、大戦の末期、海上特攻で沖縄に向かう途上、撃沈された。
誰がどう見ても明らかに勝ち目無し、背水の陣の日本海軍に対して、いわば飛び道具とも言うべき無数の空母からの艦載機による卑怯な攻撃。
武士道精神のないアメリカだから大目に見るとしても、海上に退避した無力の乗組員に対しおこなわれた機銃掃射(←生存者の複数の証言)は、いただけない。
こういう非人道的な戦闘行為は、それが戦争だからしかたないのだとすると、いまだに実際に在ったかどうか分らない日本軍の行為を蒸し返して、自国民を煽り、対日感情悪化へのプロパガンダとして利用する某国々がある。
そしてあろう事か、それに対し遺憾の意だの、謝罪、金銭賠償だのと慌てふためく日本政府や国民の一部、私は納得できない。
そんな言いがかりに迎合することは無い、と私は思う。
だいいち、それでは、戦争で亡くなった数百万の同胞に、日本人として、あの世で顔向けできないではないか。
この世でだって、戦死者の遺族や親族の心情を思えば、たやすく「日本が悪うござんした。」と言える訳はない。
そうなってくると、結局は、当時の軍部の主導者に責任を押し付けるしかなくなる。
死人にクチなしという訳だ。
そして飛び火して、靖国問題などというのが出てくるのだ。
これでは仏さまも浮かばれまい。
私はあまり頭脳明晰ではないから、私の言うことは間違っているかも知れないが、世界中の人が皆賢いとは思えないので、このような考え方もあると思って欲しい。
なんだか話が随分逸れてしまった。
ところで他のパーツの堅牢さに比べ、ちょっと水道管の肉の薄さが気になる。
これに見合った中空パイプといえば、”銃身”か?
最近の銃は中にスパイラル(らせん)が切ってあるから、使えないだろう。
求む!
種子島、一丁!