木よ、あなた方はエライッ!
モルタル仕上げを終えたばかりのコテージのテラスで、大工の巨匠:Dがドアパネルを作っている。
さて随分前ですが、今は無きボロ屋を紹介いたしました。
『ボロ屋』とは、この土地に建っていた先住民?の住まい(↓)です。
(ウチの一家が来た時には、既に何年も無人で土地の管理人さえいなかった)
(左下に人が写っているが、近所の人々が、海岸への近道として敷地内を往来していて、『道』が出来ていた)
ボロ屋は、土地を買った当初は、推定年齢(=築)50歳くらいと私も思っていたのですが、このほど正確な『実年齢』が、偶然ですが判明致した。
経緯は、以下である。
毎日仕事が終わると、30分以内に酔っ払いオヤジに変身する大工のDが、今はコツコツとコテージのドアを作っている。
コテージには4枚ドアが必要、家具同様、買ってくるより作ったほうがいろいろ利点が多いと感じている。
多機能ゆえにドアの多かったクラブハウスはドア19枚、第一コテージは4枚だけ。
ウチで作ると、19枚は気が遠くなるほど時間がかかるが、4枚では忍耐の限度内である。
『ミッション』として大工Dには、ボロ屋の古材木利用でドア製作をしてもらっている。
デザインについては、事前に私に打診してくるが、ディテールは彼に任せている。
Dの好きにやらせておけば、Dの”得意”を出してくるが、こちらが注文を出せば、注文以下のものが出来上がるからだ。
進行状況は時々見てチェックする。
いつも感心するのは、古材木の質の良さだ。
真っ直ぐで狂いが少なく、カンナで皮一枚剥けば、不思議なことに緻密で新品同様のきれいな木質が現れるのだ。
ボロ屋の古材ではラワンが一番多い。
ラワンと云えば、日本でもフィリピンでも高級材という印象ではない。
軽軟材で木目も単調、合板(ベニヤ)用の木というイメージ(←今は違うかも知れない)だ。
しかし、ボロ屋の古材は、これがラワンかと思えるほどの質の良い材木だ。
年月で乾燥しているので、硬さも色も新材とは別物だ。
棟梁エンボイが製作中の軒下の風通し、これも古材木のラワン。
取り付け済み。
内側に高級ネットを仕込んだので、虫も蚊も入らない
コチラ(↓)は、巨匠Dのドア製作。
古材木で真剣にコテージのメインドアを作る大工の巨匠D。
Dはストレスからか,毎日数時間後には、前のサリサリストアーでただの酔っ払いオヤジと化す。
あるとき、私は大工Dに聞いてみた。
「50年も経つと、ラワ~ンもこんなに良くなるのでござるか?」
「それとも50年前のラワ~ンは、本来良い材木だったのでござるか?」
ヨッパライおやじD:「50年じゃおまへんがな、70年でんがな。」
フウテンおやじ:「なに70年とな? そなた、何ゆえに分かるのじゃ?」
ヨッパライおやじ:「ボロ屋壊した時、書いておましたがな。」
フウテンおやじ:「はて、いずこに? なんと?」
ヨッパライおやじ:「ボロ屋のでんな、大黒柱のセメント基礎に・・・(1937)ってありましたがな。」
フウテンおやじ:「これ、Dよ、拙者を其の場にあない申せ。」
そりゃ、初耳だ。
さっそく、Dと基礎だけになったボロ屋の跡地に見に行った。
消えかけてはいるが、ボロ屋の縦3本×横3本、計9本の柱の中央の柱の基礎に、1937とまさしく書いてある!
肉眼ではハッキリと見えるが、写真に出るかどうか・・・
見えますか??
『1937! 」
確かにこの家は1937年(昭和12年)に建てられているのだ。
書いた当人は、とっくにあの世の住人だろうが、美しい『いたずら書き』だ。
あの226事件の翌年だ。
盧溝橋(ろこうきょう)事件をきっかけとして勃発した、シナ事変と呼ばれる日中戦争が始まった年だ。
71年前(←当時で)の家。
71年前の材木(←当時で)だったのだ。
71年を経てなお、カンナをかければ、新品同様なのだ。
それでいて今の材木より質が良いのだから・・・まったく木というものは判らない。
奥が深い。
タマゲタものだ。
日本では100年以上前の古民家は珍しくないが、日本と比国では気候が違う。
ましてこんなド田舎じゃ、稀有なことだと思う。
私にしてもだ。
今日の元気な日本人シニアの方々とは違い、私などは仮に71年生きたとしても、ヘロヘロのボロボロ、ヨタヨタの身体。
何の役にも立たない耄碌(もうろく)ジジイになっていることは、情けないが間違いない事だろう。(←実際、現在、もうなってます)
『若返る!』とか『いつまでも元気!』なんて、宣伝文句のお話。
人間や動物では、あり得ないのだ。
木よ、あなた方はエライ!
畏れ入りました。
2021年注・・・1937年、つまり戦前の比国の山には、無数と云ってもいいほどの巨木の森があったのでしょう。 戦後、輸出を中心とした販売目的の乱伐で、気が付いた時には、良質な材木が取れる立派な木は壊滅状態。 後年、やっと政府が腰を上げ、『伐採禁止』、『植林推奨』など言い出しましたが、すでに手遅れ。 まぁ、フィリピンに限らず、あちこちの国で起きていることでしょう。 山でも海でも同じで、人が痛めつければ、その反動は人に帰ってくるようです。