ビーチボーイ&ビーチガールのクロニクル

南国ビーチで、ゼロからリゾートを建設し、営業し暮らした記録です

ヤッタ~ッ! みんな1人前だ~!


きのうの午後(←例によって10数年前の「きのう」です)、ウチの連中が漁師からせしめたアジを、現場で焼いていました。


燃料はウチの残材の木っ端だし、うちの土地でしかも仕事時間中です。


ウチの前の海、目と鼻の先に網を入れて漁(あさ)るので、『TAX=税金=みかじめ料?』だとか何とか云って、漁師から割安で手に入れているのです。


私もショバ代として2匹を貰おうかと思いましたが、はしたないので止めました。




網が重くて引き上げられないほど『大漁』の時などは、手伝って分け前をタダでせしめています。


これもフィリピンではアルアルな話です。


1人乗り手漕ぎの小舟だから、魚で重い網を無理に揚げると、舟が沈みます。


そういう時は、漁師が『オ~ィ! 手伝ってくれ~!』とか沖(と云っても50m先くらいですが)から大声出してきます。






焼きあがると、彼らは『一緒に喰おう!』と必ず言ってきます。


彼らのお楽しみと食料を奪うのは酷なので、私は焼き上がる前に退散します。






ところで、過去の記事を紐解くまでもなく、うちの連中のスキルには、今まで散々泣かされてきた。



ちょっと思い出しただけでも、曲線まがり壁、坂道の廊下、菱形の柱、ババッチイ天井仕上げ、10枚のドア切り事件、狂乱キャビネット、台形の窓・・・・。



『ビックリハウス』さながらであった。


これでもか、これでもかと、しつこく念を押すように問題を起こしてくれた。


そのうちのいくつかは修正不能のまま、今もなおクラブハウスに”記念品”として残されている。


(ここで過去の写真や記事を持ち出すと、私自身も新たな怒りがこみ上げてくるので、敢えてしない。)




今思えば、あのようなハイテクならぬローテクのシンドロームが、毎日津波のように押し寄せた中で、諸先輩のご指摘の如く、よく私は頭がオカシクならなかったと、安堵のため息を洩らす今日この頃である。



或いは、既に頭がどうにかしているのかも知れないが、そういう事には当人である私は気がつかないのが常である。





さて今度のビーチコテージのほうはどうかと言うと、これがあなた様、マトモ、なのである。



コテージの外壁、モルタル仕上げ。


彼は、ウチに来た当初はホント何もできなかったが、今や一人前まではいかずとも、他でも雇ってくれそうなスキルだ。




壁のペイント仕上げ。






トイレの窓枠も、しっかり面と角が出ている。





小窓。




ベッドルームの天井角。



ベッドルームの天井。



リビング海側の外壁。




写真では分かりにくいが、壁も窓もサイズどおりで真っ直ぐ、天井にも不可思議な模様など無く、至極普通なのである。



一体どう解釈、分析したらいいのだろうか?


クラブハウス工事の中ほどから終了時点までに、血も涙も無いフウテンおやじ(=私)は、数回に分けて10数人のリストラを敢行した。



この人員整理の人選が正しかったのかもしれない。


私情を抜きにして、仕事の優劣を唯一の判断基準としたつもりだ。


腐ったリンゴを取り除いたのだ。


そのゆえか?




それとも仕事をしているうちに徐々に上手くなったのか?


ならば、うちはやはり私設の職業訓練所だったのか?



彼らにすれば給料を貰って仕事を覚えられて、こんな良いことはない。


フウテンとしては、クラブハウスのこれら記念物を目にするにつけ、腹立たしい気もするが、ここは素直にひと様の役に立ったと喜ぶべきかも知れない。




よく言われるように、人間の記憶システムは巧くできていると思う。


嫌なことや辛いことの記憶は、時間と共にオブラートに包まれ、箱に入れられ、やがて綺麗な包装紙に包まれてしまう。


そして良かったことや楽しいことは、更に化粧され、磨かれ、やがて過ぎ去った過去の完璧な出来事として追憶されるのである。




ところがギッチョン。


このフウテンは甘くない。


エンボイ一家の悪行の数々、お天道様は見逃してもコッチトラは、そうはイカの〇〇タマだ。


しつこく、いつまでも覚えているのだ。


私のような素人にとって、油断は大敵だから。

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