大車輪のフウテンオヤジ
とうとう建築許可証がでた!
取得にかかってから約1ヵ月半だ。
市役所の名誉のために言っておくと、遅くなったのは市役所のせいではない。
むしろ市役所は、田舎の役所の見本のように、誠実さを持ってすばやく対応してくれたのだ。
遅れたのは、私の設計を正規の(=許可証申請用の)青写真に起こす作業をした「建築士もどき」であった。
「このやろー!」と張り倒してやりたいくらいの愚図かげんであった。
もっとも、工事のスーパーバイズ(現場の監督&資材の調達)もやらせろと言う彼に対し、許可を取るための図面を書くだけでいいと、ウチが断ったからだろう。
建築士にスーパーバイズさせれば、彼には建築費の20~30パーセントは抜かれる可能性あるので妥協はできない。
まあまあ、ともあれ建築許可が下りたのだ。
市役所に受け取りに行った奥様Mは、これ以上ないという満面の笑みで帰ってきた。
「おめでとうございます」
「おめでとうございます」
と自分で自分達に祝福する。
今晩はワインで祝杯だ。
この日は、あらかじめ出ることが分かっていたので、現場は、大忙し。
今までの6人と、新たに14人雇って、合計20人くらい。
「くらい」と言うのは、わけがある。
数えるたびに人数が違う、見物人、野次馬が混ざっているからだ。
こんな田舎で、日本人が現場をすべて仕切ってリゾートを作っていることに、興味津々なのだ。
人数なんてどうでもいいぞ、そんなこと。
それよりも、ボロ屋のキッチン&トイレの打ち壊し。
家の予定地に生えているヤシノキ2本の移植。
クラブハウス兼住居のくい打ち。
職人達用の仮設トイレの新築。
隣の土地の中の危ないヤシノキ5本のカット。
そして、道路側のフェンス工事。
・・・・etc
私フウテンオヤジは、ボケた頭をフル回転。
全く大車輪、とんでもない忙しさになった。
思い起こせば、11年位前(2020現在からだと27?年前)。
南の島で、ダイビング仕事しながらノンビリと暮らしたいと、この国に来た。
しかしよくよく考えてみると、以来、「ノンビリと」したことなど、あまり思いつかない。
フウテンオヤジのような[団塊世代のミソッカス]には、やはりできないのである。
ノンビリしたくても、できない性分なのだ。
いつも何かしている。
する事がないと、やることを探しまわってでもする。
落ち着けない貧乏性だ。
地べたをはって歩くアリンコに、「チマチマあるくな!たまにはノンビリとサボるか、飛んでみろ!」と言っても無理な相談なのだ。
戦後の高度成長期に生まれ、子供時代を過ごし、やがて会社の歯車となり、頭が悪いため他人様より働き動いた・・・。
兄世代がバリバリの団塊で数も多く、上が詰まって出世などハナから難しい。
いまさら愚痴っても仕方ない。
要はどこに行こうと自分が変わらない限り、同じような生活しかできないのかも知れない。
そして、自分を変える事など今更できるわけは無いのである。
私は手先は人並み以上に器用だが、不器用な生き方しかできない。
2007年問題、いわゆる団塊世代の大量離職なども結局無いのかもしれないと思う。
(はからずもこの、当時の私の予測は当たっていた)
団塊の世代は、つまるところ団塊の世代としてしか生きられないのだ。
大げさに言えば、彼岸に就くまで自らを奮い立たせチマチマと、人と競いながらシャカリキで。
だからこそ、「何も無い南の島でノンビリと生活し・・・」などというフレーズに思いっきり憧れるのだろうか。
明日も5時起き、やる事山積みだ。
処理すべきトラブル・問題も数々起こるだろう。
団塊世代のミソッカス、フウテンオヤジになりきれない、私、フウテンオヤジであった。