シンプルライフ・小欲知足
『レチョン・バブイ』=ブタの丸焼き。
この国では、こいつを食べ過ぎて死んだ人の話が、よくニュースになる。
さて、小さなバッグひとつで、乗合バスで引越しできる田舎の庶民フィリピン人に対し、(在留)日本人の“物”の多さは異常だ。
具体的に、日本人と比国人、どうしてそんなに持ち物の量が違うかというと。
まず衣類、もともとこの気候だから、『衣替え』もなく、日本で言う“夏物”しか要らないのだが、それでも日本人は衣装持ちだ。
服が多ければ、クローゼットや箪笥も必要になる。
次にオーディオや家電製品類、それから、なくても困らない様々なモノ。
書籍などもある。
田舎のフィリピン人は、物欲がないのか、たいてい何も持っていない。
あって、せいぜいひと包みの衣類と雑音だらけのラジオと、菓子缶に入れた想い出写真。
さらにちょっとお金のある人は、中国製のTVとDVDプレーヤー、扇風機、小さな冷蔵庫。
日本人はフィリピンで暮らしても、日本と同じくらいの量のモノたちを揃えてしまう。
さらに本や趣味の物、収集品、普通のフィリピン人が持たないものが、日本人の家には多い。
これでは、せっかくの家も狭くなる。
フィリピン人の家は、物が少ないのですっきりとしている。
もちろん、ごく少数の富裕層フィリピン人は例外である。
私はお付き合いはないが、彼らの家はケタ違いに大きいので、物があろうが無かろうが関係ないようだ。
ある日系企業の駐在員曰く、『リビングルームに、(日本の)オレの家全部がすっぽり入る・・・』
しかし、ここで話題にしているのは、田舎の善良なフィリピン人である。
日本で、もてはやされている類いの、“洒落たシンプルライフ”ではなく、“真のシンプルライフ”がここにはある。
ここのシンプルライフとは、貧困とセットになっている。
お金持ちがシンプルライフを実践するのは、椰子の木の無い土地を探すより難しいが、貧乏人には簡単だ。
他に選択肢が無いからである。
シンプルライフとは“小欲知足”の一つの形だと思うが、もともと世のお金持ちには、人並み以上の欲がある、または、あったはずだ。
その欲を抑え込もうというのだから、ひと筋縄ではいかない。
その点ウチの近所のフィリピン人は、筋金入りだ。
煩悩が少なく、生まれつき?ずっとそのまま?。
あるのは食欲と睡眠欲、子孫を残す性欲。
言葉は悪いが、年中『クウ・ネル・ヤル』の暮らしだ。
労働はそれらを満たすためだけ、最小限する。
つまり、ほとんど『天然物』の”小欲知足”なのだ。
悪く言うと、向上心のカケラもない、とも言えるが。
少し羨ましくもあるのは、事実だ。