ビーチボーイ&ビーチガールのクロニクル

南国ビーチで、ゼロからリゾートを建設し、営業し暮らした記録です

神様:岡林

露天風呂から海方向の景色。
左側の3つの水槽は、ダイビング器材洗いです。
船で戻ったら、ここに器材&ウェットを入れて、シャワーを浴びて、露天風呂にドボンです。
キャッチコピーは、『リゾート帰れば2分でドボン』です。



以下も、いつもと同様10数年前の、私のセブ島時代のクロニクル(=年代記・物語)でございます。 改めて読みますと、偶然と言いますか、当時も世界的な不況だったようですね。




さて冒頭のタイトルで、ピンときた方は60代以上ですね。


『フォークの神様』と呼ばれた岡林信康さんの歌、“私達の望むものは”、という歌がありました。





HAPPY END はっぴいえんど 岡林信康 私たちの望むものは


団塊世代は、神様:岡林の絶叫・熱唱、懐かしいですよね。


ご本人の作詞・作曲ですが、歌詞は転載できないのでネットで閲覧ください。


この歌の1970年当時は、学生運動が全盛期でしたが、72年のあの”浅間山荘事件”で急速に衰退しましたね。



この歌の詩を入れ替えて、逆に歌ったバージョンを私は何かで聞いたことがあります。


逆説的な表現になり、別の味わいが出てきます。



たとえば、サビの部分・・・・


今ある不幸せに とどまってはならない
まだ見ぬ幸せに 今飛び立つのだ


それ(↑)が、こう(↓)なります。


今ある幸せに とどまってはならない
まだ見ぬ不幸せに 今飛び立つのだ





たとえば・・・・・
長年勤めてきた会社を辞めるとしたら、辛いことでしょう。
住みなれた家を出て行かなければならないとしたら、惨めでしょう。
今まで食べてきた食事が食べられなくなるとしたら、悲しいことでしょう。
スコッチやビールを焼酎や発泡酒に代えるとしたら、納得いかないでしょう。




しかしどうでしょうか。


生活が安定していればいるほど、現状に満足していればいるほど、チャレンジやチェンジには、より多くの勇気が必要になります。


『不況で自分は不幸せになった』と悲観している人がいたら、『今、チャンスが来た!』と思えないものでしょうか。



“天は、民草の中から強い者を選んで、試練を与える” と言われています。


あるいは、
身を捨ててこそ 浮かぶ瀬もあれ
人間万事 塞翁が馬
禍福は 糾(あざな)える縄の如し
・・・・etc.


こういう表現が世界中に幾らでもあるという事は、やはり普遍の真実なのだと思います。


さらに、明治の維新が成立したのも、徳川様の政(まつりごと)の疲弊、諸外国との摩擦や外的圧力のせいでしょう。


合衆国初の黒人大統領がとうとう現われたのも、アメリカ国民のさまざまな不満の故でしょう。


これからの未来は、日本も不況だけでなく、戦争も飢饉もひと事ではなくなってくると思います。


しかし、不幸せこそが、幸せのエネルギー源ではないでしょうか?




日本民族、がんばってください!


歴史を紐解いても、実際を知る各国の人々と比較しても、日本人は優秀だと私は考えています。


自民族優越主義に、凝り固まっているわけではありません。


日本人も不得手なこと、やや劣っていると思われる部分もあると思います。


しかし、長い伝統と、たゆまぬ努力に培われた“物作りの知恵”に関しては、自慢できます。


このことに関して、私フウテンはこのケチな命を懸けてもいいです、間違いありません。


他国では、ポツリポツリと単品でその時代の天才が出現して、技術が伸びる事がありました。


日本は、無数の名も無い市井の匠たちが技を競い合い、物作りに精魂を傾け営営と次代に伝え伝統を築いてきたと思います。


今、物が売れない時代、物作りを外国に託してしまっている時代こそ、真の物作りが問われるのではないでしょうか。


自分の得意な土俵で戦うことは、勝負に勝つ鉄則です。


テレビゲームやマネーゲームにうつつをぬかし、日本人の物作りの伝統、知恵を過去の遺物としないよう、若い人たちにお願いしたいです。



50年後、100年後を見据えて乗り切りましょう。


特に若人には、敢えて荒野を目指して欲しいですね。


辛⁽つら⁾い時こそ、苦境に踏み込んでほしいです。



私ですか?
自分のことを言わせていただければ、
こんなこともありましたね~。


日本にいた頃、ほとんど才能も無いのに仕事の合間に10数年ほどスポーツに、打ち込んでいた時期がありました。
不思議なことに、忙しくて睡眠時間を削ってまで練習した時や、他の諸々に行きづまって、キツイ時の方が、記録が伸びましたね。
楽なときは、練習も成績もさえませんでした。



今ですか?
いまは人様のお情けにすがって、生かされているようなものです。
何しろ重症の南洋ボケですから、言うことが支離滅裂ですよ~、最近。
ご多分にもれず、さっきや昨日のことより、30年前のことのほうがよく覚えてますし。


いまの私は、フウテンですねぇ~
私は、遠く離れた南洋のぬるま湯にドップリと漬かりながら・・・ですねぇ~
医者に行けない(行かない)のを幸いに、もう若くないから当たり前なのに、あちこち身体の不調をこぼしながら・・・ですねぇ~
まだ1年しかやってないのに、十年一日の如く、良くもない頭で朝から晩まで毎日リゾート創りのアイデアを考え、シコシコと幼稚な設計図を書いて・・・ですねぇ~
資材の手配して現場やって、日本のTVを見ながらの寝酒を唯一の楽しみとして・・・ですねぇ~


日本人のがんばりを、草場の陰から、イヤ、椰子の木のもとより、見守りたいと思います。


私は今までロクなことしてないですから、残りの人生、実入りはどうでもいいから、できれば、世の中の役に立つような仕事をしたいのですが、今していることも、結局は自分本位のことのように思えます。


まあ、リゾートが完成すれば、喜んで来てくれる奇特な方もいらっしゃるようですから、それなりに、ご恩返しができるとは思っているのですが。


どうでしょうか・・・。



リゾート作りとは全然関係ない話で、失礼いたしました。


以上、10数年前のまとまりない拙い稿ですが、2022年の今に通じることもあり、自分で少し驚きました。
お読みいただき有難うございました。

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