やっと残りのブトンを手に入れました
屋根葺き作業、前回はここ(↑)まででした。
画像右側の奥半分が、屋根なしです。
やっと残りのブトンが到着いたしました。
(注:ブトンとは太い竹のこと。今必要としているのは、それを幅5センチ長さ4メートルの短冊状に加工したものです。お座敷の屋根を椰子の葉で葺くときの下地の桟、そして床張りに使います。)
早速屋根の残りの部分を葺きます。
総がかりでやりました。
全員屋根に張り付いていて、画像では見えません。
全面終了です。
海沿いですので、風による痛みや雨漏りを防ぐために、魚網をかぶせます。
こうしてネットを巻くと、耐用年数も数年延びます。
(ビーチから見たお座敷全景です)
張り出し部分を含めて27メートルしか無いのに、漁網30メートル分を使いました。
まだ5m以上残っています。
足りません、追加購入必要です。
どういうことでしょう?
(フィリピン、アルアルです。だから、深く追求するのは時間の無駄。)
買うしかない。
72年前のボロ屋から回収したトタンを平らに伸ばして磨き、『への字』に曲げサビ止めを塗った。
何度も書きましたが、昔のトタンのほうが、なぜか錆びにくく耐久性があります。
これ(↑)が針金釘。
円錐形の鉛に、30センチの番線(針金)が付いている。
トタンなどを屋根に固定する際、ニッパ葺きなどでトタンと桟木が遠いと、屋根釘が届かない。
そういうときに使用します。
屋根のてっぺん、ニッパの葉の合わせ目部分に、写真のような針金釘で、トタンを端から端まで被せて固定する。
ともあれ屋根は葺けましたが、まだ床張り用のブトンがいつ手に入るか分かりません。
あと250本は必要なのです。
催促すると・・・
「明日、山に入って切ってくるから・・・」
という言い訳セリフを、悪びれることなく、4日連続で聞かされました。
もとをただせば、最初の約束では、15日も前に届いているはずなのですが。
日本人には、なかなか理解できないことですが、この国の多数の人達には、約束を守ろうという気持ちがありません。
『約束』は、あまり意味が無いのです。
ラテン系というか、明日のことを考えないわけですから、“約束”という概念も無いのかも知れません。
日本人ですと、約束を破る=嘘をついた、です。
でも彼らには、罪の意識などは無いようです。
仮に有ったとしても、何事も『神様にごめんなさい』すれば許される、というありがたいカトリックの教えに従うだけです。
約束した相手に『ごめんなさい』することは、あまりナイです。
田舎では90%以上の人は、自分に都合のいいように解釈した”ローマンカトリック教”です。
学校でも家庭でも、道徳は教えません。
人としてどう生きるべきか、なんて考えません。
あえて言えば、神を信じる正しい(?)生活、でしょう。
誰が言ったか忘れましたが、『フィリピンには哲学者はひとりもいない』そうです。
哲学者どころが、哲学という概念さえ無さそうです。
自分のことを棚にあげて、何かこういう事ではいつもグチリます(すいません)。
何も考えられない人や、自分のことしか考えない人が当たり前に多い国です。
確かにそういう生き方をしていれば、本人は楽チンでいいでしょう。
ひと様を気遣ったり、周囲に気配りしたり、道徳に縛られたりしない、まさしくこれは大人(たいじん)のような生き様です。
食べたい時に食べ、寝たい時に寝て、気が向いたら仕事する。
義理も人情もない。
悪口雑言のようですが、そういう人達の存在が、フィリピンをフィリピンたらしめているのは事実です。
私の知る範囲では、マイノリティーであるまともなフィリピン人達(日本人から見てですが)も、同国人のこの状況を恥ずべき事と考えています。
しかし、同じくマイノリティーというべきか、金持ち富裕層にとっては、その絶対的権力やベラボーな富は、これら絶対的多数の貧困層庶民の無知、無学によって成り立っているはずですから、事態は歓迎すべきことなのでしょう。
ともかく、私のようにチマチマ、セカセカと生きるしか能のない小市民は、そんな「セレブな野良犬」みたいな暮らしが、皮肉でなく、心の隅でちょっぴり羨ましくもあります。
それにしても残りのブトンは、いつ来るのでしょうか?
物事が、自分の思う様には成らないものだということは、いくら私がバカでも、この年になれば承知しております。
しかし、このようにあまりにレベルが低い問題ですと、考えるだけで疲れてきますね。
日本や日本人と比較して、他国や他国人をどうこう言うことは意味ない事ですが、ついヤッテしまいます(言葉には出しませんが)。
ただ誤解を避けるために、付け加えないといけないのですが、フィリピンという国には良いところもたくさんあります。
少なくとも私にとっては、居心地のいい面もあります。
だからこそ、ロクに帰国もせずに、何年も居られるのだと思います。
その反面、長く居れば居るほど、フィリピンという国やフィリピン人の内面が見えてくる、ということは当然の帰結としてありますから、グチも多くなりますわ。