ビーチボーイ&ビーチガールのクロニクル

南国ビーチで、ゼロからリゾートを建設し、営業し暮らした記録です

信じられない仕業に、天を仰ぐ

(セブ市のサウスバスターミナル、日曜の朝で、やや閑散)



今日は奥様と2人でセブ市に買出しで、今帰ってきたところです。


飾り木や金具&小物類買い出し、例によって駆け足でした。





キッチンキャビネット話の第2弾である。




これを発見した時は、呆れかえって奥様と2人で天を仰ぎ、10秒ほど口がきけなかった。


何が起きたかと言うと、ドアヒンジに続き、引き出しのレールだ。



金属製でプラスチックのローラーが付いている引き出しレールは、日本でもおなじみだ。


ご存じない方は、チョットご自宅のキッチンやキャビネットの引き出しを外して見て欲しい。




(4本で1セット=引き出し1本用、になっている)



引き出し本体の外側の側面に付ける右用と左用、そして受けの開口部に取り付ける右用と左用の計4本だ。



このワンセット4点には、左右があるし当然形が違う。


事前に職人たちには、現物を見せ触らせ、左右を組み合わせスライドさせ、動くさまを見せて説明したのだ。






ところが、DとVの名人(?)大工は、この4本をバラバラに4つの引き出しに、一本ずつ取り付けたのだ。


あまりに予測不能な仕業!


何なんだ! 


奇想天外! これでどうしようと云うのだ!



これでどうなると思って取り付けたのだろうか?



何か意味があるのか?


(この人たちは何者なのだ?)



奥様と私は、怒りも忘れ口を半開きにして、顔を見合わせ言葉がなかった。





しばらく間をおいて、私は話し始めた。


私はこういう時はキレるのを堪えるのに苦労していて、写真を撮る余裕は無いので写真は無い。


キャビネットヒンジの時もそうだが、写真を撮ることは思いもつかない。



怒りをこらえて話しながら、また改めてレールを組み合わせどう動作するか、そのためにはどこにどの部品をつけるか説明した。


(話ながら分かったが、たぶん半分も理解していない)



結局この引き出しレールも、先のドアヒンジと同じ。


彼らにとっては、”初物”なのである。




約500年前に、九州の種子島に中国船でやってきたポルトガル人は、一丁の火縄銃を持ってきた。



日本民族にとって未知のその武器は、『種子島』と名づけられた。



他の国ではあり得なかったスピードで良質のコピーが作られ、日本国中に伝播した。



これが日本の戦国時代の戦さの歴史を大きく動かす、きっかけになったのだ。




思うに、私フウテンは、考えようによっては、セブ島の田舎町に『キャビネットヒンジ』と『引き出しレール』という、”種子島”を持ち込んだのだ。



この事件は、与えたショックは種子島の伝来と同等かもしれない。


しかし歴史どころか、なんにも残らないことも確実だ。


何故なら3日もすれば、彼らは何事もなかったかのように、全部忘れてしまうからだ。


そして相も変らぬ蝶番ドアキャビネットと、マッチ箱のように木と木を滑らす引き出しを作るのだ。



それでこそフィリピン、バンザイだ!


ここウン十年、日本経済と日本人は停滞し続け世界に遅れた。


なのに、お花畑な国民性で自他ともに認めるガラパゴス状態。



しかし『ガラパゴス』は他にもあった。


多分あちこちに。





(問題のキッチンキャビネットは、ぺイントの段階にはいっている。 作り始めて10日目が過ぎてしまった。 いつ完成するか、めどが立たない。 これではセブ市のデパートで既製品を買ったほうがずっと安かった)




踏まれても蹴られても、
胃が痛くなっても、
何が何でも、
こうなったらど~なっても・・・・
地元民による作業にこだわってやる・・・・と決心したフウテンおやじである。

”絶望な”気分になった

(雨の日の現場風景)



台風の影響で、雨が降っていた。


台風被害が出ることは滅多に無いのだが、揺れる木の枝で電線が切れ停電する。


フィリピンでは良くある話。





さて名人:ロッキーが、キッチンのタイルを貼り終えた。


タイルを買った時はちょっと派手かと思ったピンクタイル・・・・OK。


模様がきれいだ。


(一人黙々といつものロッキー、日本でも同じだが腕の良い職人は無口だ)



(コーナーがあちこちにあるので、ガラ合わせは困難なのにさすがの出来栄えだ)





そこで今度は収納、キッチン・キャビネットだ。


キッチンのキャビネットの製作で、彼らの技量をチェックすることにした。



担当は、木工が上手く『キャビネットなどオチャノコサイサイ』、というDとVの小柄コンビ、エンボイが選んだ。



引き出し用のレールセットと戸棚用のキャビネットヒンジは、奥様と私ですでに買い求めてある。


これらヒンジとレールを見せて、キャビネットのプランをエンボイとDとVに説明した。




キャビネットは、上部が引き出し下部が開き戸という、ごく一般的なデザインだ。


念のため、ドアヒンジと引き出しレールの取り付け方も説明した。


2人とも長いこと大工をやっている(はず)なので、いくらなんでも、簡単なキッチン・キャビネットくらいは作れるだろう。





そう考え、他の作業をチェックして、私は暫しキッチンから遠ざかっていた。




キッチンの様子を見に行くと、キャビネットのフレーム用の木を取り付けていた。





金づちがふらつきタイルを打ったのか、せっかくのタイルが破損している。



誰しもミスはする、しかたない。


それよりフレームを作り終わっているのだが、どうもオカシイ。


木枠フレームの面(ツラ)が出すぎているのだ。






堅苦しい話で申し訳ないが、キャビネットヒンジには、下の写真のように主に3つのタイプがある。(当時の現地でも)



(占めた時の扉の位置、角のところを見れば違いが分かる)



(これは開けた時)



上側の写真で言うと、上方の板が扉である。



ヒンジの形によって、


1.扉が側板に完全にかぶさるタイプ。
2.扉が側板に半分かぶさるタイプ。
3.扉が側板に完全にかぶさらないタイプ。


の3種類だ。


扉を開けたときの写真がその下だ。


お分かりいただけるだろうか?


これらはヒンジの側板側のアームの形状で区別できる。


別のサンプルで見るとこんな感じだ。



(上はハードウエア店にあったサンプル)


私は、一番施工が簡単な、[1.扉が側板に完全にかぶさるタイプ。]を買って彼らに渡し説明したのに。


彼らは、[3.扉が側板に完全にかぶさらないタイプ。]の扉と側板の位置関係で、やってしまったのだ。



私が指摘すると、彼らは「ノ~、プロブレム!」と言い張り、あわてふためき、必死になって、大汗かいて、穴を開けなおしたりヒンジの位置をずらしたりしようとする。



だんだん木枠が穴だらけになり、とりとめもつかなくなる。


そんな事をいくらやっても無駄なのだ。




ちょっとアタマにきて、


私:「止めー!、ヤメー!、エンボイを呼んで来い!」


エンボイが来た。


私:「どうなってるんだ、エンボイ。だから作業の前にみんなにヒンジを渡して施工法を説明したろ、全然聞いてないようだったけど。この2人は何も知らんじゃないか。」



エンボイがさかんに彼らに何かビサヤ語で説明するが、その時点で私は理解した。


エンボイも含めたこの3人は、『キャビネットヒンジ』を使ったキャビネットは、初体験なのだ。



彼らが、今までの人生で見聞きした、あるいは製作したキャビネットは、昔から有るいわゆる下の写真のような蝶番式のものだけなのだ。






もうこうなったら、ノーチョイスだ。


彼らが作ってしまったタイル面とこの側板と扉の位置関係では、上の写真の古来の蝶番しか使えないのだ。


今更やり直しは、できない。


[3.扉が側板に完全にかぶさらないタイプ。]、のヒンジを買い直せば使えるかもしれないが、あまりに下手な他の部分の作りを見ても、そんな大冒険をする気は起こらない。



古来の『蝶番』に設計変更だ。



(結局こうなった)




フィリピン人全員とは言わない。


しかし、かなりのフィリピン人は、自分が知らない事でも知らないとはまず言わない。


知っているフリをする。


知らないから教えてもらいたい、学びたい、という向上心のある謙虚な姿勢はあまりない。


『聞くは一時の恥、知らぬは一生の損』?・・・だっけ?日本にはそんな言葉もある。




私が、ヒンジの包みを渡したときでも、自分から開けもしなかったのは、おそらく『無知』がバレるからだったのだろう。


自信を持つことは良い事だが、過剰な自信や思い込みは、自らの進歩の妨げとなる。


同じ島国なのに、日本人がその昔から、他から学ぶ意識が強かったのとは、大違いだ。




たとえば、1500年前の日本人は中国から漢字や仏教を取り入れ、独自のひらがな、カタカナを考案し、更に日本の優秀な(世界に誇れると私は思っている)文化を作り上げた。


『極東の島国』のゆえか、いつの時代にも日本人は度が過ぎるほど、よそ様を気にしてそこから何かを学ぼうとしたようだ。



かなり前だが、シンガポールが『日本に学べ!』(ルックイースト)というキャンペーンを国を挙げて推奨したことがある。



代々フィリピンの大統領は、『フィリピン貧しい、援助ちょうだい。』という外交が得意だ。


しかし、あの国のあの点がすばらしいから、取り入れたいとかマネをすべきだ、学ぶべきとか、宣言し実行したという話は、聞いたことが無い。


この国民性では、もしそんなことを言ったら大衆の支持を失うだろう。



現実として、私はフィリピンで(この時点で)十数年生かされている。


この国や人々の悪口は、言いたくない。


しかし、フィリピン(人)のこういうところは、やはりあまり好きになれない。





「工事を委託せず、都会から腕のよい職人を呼ばず、、『村おこし』、『町おこし』のように地元の村人だけで、ちゃんとした家を作る」、という私ども夫婦のプラン自体が無謀だったのだろうか?




それはただの夢物語だったのか?



このあと更なる、『天を仰ぐ』ことが・・・・続く。