ビーチボーイ&ビーチガールのクロニクル

南国ビーチで、ゼロからリゾートを建設し、営業し暮らした記録です

なぜ自分達でやるのか?

(ウチ前のビーチです)


今回のリゾートの建築は、奥様Mと2人3脚で、土地探し以来、工事プラン、人材や物資の調達などなど、自分達でスーパーバイズしている。



第一に限られた予算を有効に使うため。


何処の国でもそうだが、ごく一部の物を除き、あいだに人が入ればコスト、値段は高くなる。


特に外国人は『金持ち』と思われがちで、常識はずれの『コミッション』という名の金銭の詐欺にあったりする。




第二に、『この国で日本人が住む』という条件を考慮すれば、フィリピン人や日本に住む日本人による設計は、ベストではないと思うから。


私は建築の専門家ではないが、そのあたりの事情があって、自分でやってしまうのがベターであるという結論である。 


何故なら、フィリピン人には日本人の生活習慣は判り難いし、日本の人にはこの国の諸々の事情は判りにくいから、と思うからだ。 リストが涙を・・・!なぜ、工事を自分達でやるのか?



例を挙げると、1年じゅうビーサン暮らしの田舎の庶民はともかく、欧米化したきれいな家に住んでいるフィリピン人は、靴を脱いで家に入る(=『上がる』)という習慣がない。


その結果、通常は玄関の内外と居室に段差はない、タタキが無いのである。


私は履物を脱いで上がることは、良い習慣だと考えている。


よくハリウッド映画などで、靴を履いたままベッドに身を投げ出すシーンを見かけるが、私はあれを見ると、どんな美男美女であっても興ざめするたちだ。


野蛮人め!、ちゃんと、靴は脱げ~!と思ってしまう。



はたまた、例えば、日本人は風呂が好きだ。


がこの国に住んでいると、風呂に入る必要をあまり感じなくなる。


暑いのに、わざわざ暑くなることもないだろう。


しかし、シャワーだけだとしても体を洗う時に日本人は、風呂イスに座って身体を隅々まで洗う習慣がある。


欧米風に立ったままで洗うのは、私は慣れたがたいていの、特に年配の日本人は落ち着かない。


ところが、この国のセッティングでは、しゃがんだ頭の上の位置にシャワーヘッドは、普通こない(もっと高い)のだ。


立って体を洗うという前提なので、風呂椅子なども無いし狭い。


黙ってこの国の建築家に設計させれば、上記をはじめ日本人の習慣には不都合な場面が多々ある。



またさらに、日本(人)に設計を頼んだとする。


例えば、以下のような事情がある。


この国の水道配管工事は日本に較べれば、クオリティーが悪い。


管やねじ、バルブの品質と精度、そして配管工の技術のレベルが低い。


また、水そのものの質も全然違う。


汚いという意味ではなく、セブ島のような海底隆起地盤の場所では、水道に白いサンゴ砂が若干混じったりするし、バリバリの硬水なのだ。


もともと低品質のバルブやファセット(蛇口)が痛む。


そして一番の違いは、水圧が強烈すぎたり(夜間とか)、出なかったり(朝とか)、変化が激しく一定ではないのが、あたり前田のクラッカー。




結果、配管から水は漏って当然、と言う感覚がある。


フィリピン人は気にしない。


しかし日本人は気になるし、許せない。


バルブからポタポタ、継ぎ目からボタボタである。


従って、解決策は、見栄えは悪いが水管は壁の中ではなく、内側か外側に配管するのが正解と思う。


それから、ポンプで適当な高さのタンクに上げて、給水圧を一定にする必要がある。


また屋外配管も凍結の心配がないので、トラブルが目視できるように埋めないで地表に出すのがいいのだ、見栄えは悪いが。


そうしないと、地中の水漏れや壁から水が染み出てきたり、壁の中の電気配線や器具に影響して漏電したり、それは大変な目にあうのである。



冗談ではない。


1997頃にスタッフやってたリゾートでは、油断して壁や階段を触るとビリビリ感電して驚いた。


雨でもないのに、部屋に水が出たりする。


大掛かりに壁を壊さないと、修理も容易ではない。


屋根の工事もまあいい加減で、しかも強烈な雨が降ったりするから、部屋の中でも雨が降ることもある。


イエス様やマリア様が涙を流した!とかの不可思議な話が、フィリピンや他のラテン系の国で時々ニュースになる。


ことの真相は、案外こんなことなのかも知れない。


ここは日本ではないのだ。




話を戻そう。


もし、日本人設計士でこの国の建築事情を充分わかっていて、現場の職人達と正確にコミニュケートできて、小額のサラリーで工事をずっと見守ってくれる人がいたら頼みたい。


が、そんな人材が居るわけない。



そんなこんなで、”自分達でやる”のだ、と決めてしまった。


私は、けっして大それたフィリピン通ではないが、知らない人よりは知っている。



なにより、ミスしても自分のせいなら笑って許せる。


他人のミスには、我慢できない。


ひとにキビシク、自分に甘い、そんな自分勝手なフウテンおやじには最適の選択である。



それは海外では当たり前田の、『自己責任』なのだ。

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