ついに古民家の解体だ
(工事開始前の、道路から見たボロ屋とその周辺・・・敷地内)
とうとうこの時が来た。
ボロ屋の打ち壊し、取り壊す日だ。
勝手に『ボロ屋』と呼んではいるが、この田舎で70年前(2021年の今からだと80年以上前)だから、それは『立派な家』だったろう。
この家の家族から医者を2人出したという。
たぶんウナビア(=家族の苗字)一家は、この村では”名家”。
その昔、この家が出来たころは、セブ島のはずれの村の道沿いに建つ総2階のこの家は、周囲を圧倒したに違いない。
しかし、世は無常、息子・娘達が独立しセブ市などに一家を構え、両親が世を去ってからは廃屋となった。
奥様と私が初めてこの家を訪れた時、ホコリだらけの2階には、まだファミリーの集合写真があった。
それはやはり、ホコリにまみれていた。
老若男女、総勢30人近くが写っているそのセピア色の写真は、この家の全盛期を主張しているようだった。
我々が土地ぐるみ買い取った時点で、この家屋の運命も尽きたのだった。
それからは、このボロ屋は工事の資材置き場、管理人の寝泊り場や職人達の休憩場と役目を変え、6ヶ月が過ぎた。
ボロ屋にとっては、死刑囚が執行を待つような気分だったのかも知れない。
そして、とうとうその日が来てしまった。
(当然だが、それは屋根から始まった)
トタン屋根だが、当時のトタンは現在のそれより分厚く品質も良く、耐久性も高い。
今後は仮設などの資材として利用できる。
(そして2階の壁が)
他人の家、ただの材木の集合体なのだが、胸にくるモノがある。
そしてボロ屋の2階がなくなると、道路からはウチのクラブハウスの景観が出現した。
(2日目に入ると1階部分の解体)
ボロ屋の周辺には、古材木がどんどん積まれていく。
これらも使えるモノは多い。
(柱を取り除いた前面のモルタル壁に、ロープを掛けて壊す)
(ウチのクラブハウスの全貌が姿を現した)
ボロ屋さまに・・・
<黙祷!>
しかし、ボロ屋の祟りか、あるいはひと山越して気が緩んだのか、私はノドが痛く、無性にだるい。
ボロ屋に宿った72年間の人々の営み、生命、汗と涙、喜怒哀楽など、積もり積もった思いが、フウテンオヤジの喉に付きまとっているようだ。
しっかりと受け止めたぞ。