お宝は古材の中にあり
(ボロ屋解体で出た資材)
さて、先にお伝えしたように、ボロ屋の解体はスタッフ全員で2日がかりで完了した。
重機などは使わない。
この国では人力のほうが安いし、もうひとつの理由は、ボロ屋から古材木などを調達したいからなのだ。
重機でガーッとやっては、ボロボロになってしまう。
このところ(現在からですと10数年前です)のフィリピンの物価上昇に関しては、たびたびお伝えしているように日本の比ではない。
よくマニラで暴動が起きないなと、不思議な気がするくらいだ。
うちの必需品の建築資材なども、注文するたびに価格が上がっているのだ。
こんな馬鹿げた話はない。
これは原油高や諸般の事情の所為だけでなく、明らかに便乗して儲けている輩(やから)が闊歩していると思える節がある。
そしてそれを見過ごす大衆がいる。
おかしな例えだが、百円玉を持っている小さな子供にキレイな5円玉10個と交換しようと言うと、たいていの子供は交換してくれる? と思う。
田舎の多くの素朴なフィリピン人は、そのケがある。
大袈裟に言えば、「”貨幣経済”にまだ馴染んでいない。」
物の値段がどんどん上がろうと、店によって同じ物の値段が大幅に違おうと、それをそのまま受け入れてしまうのだ。
いつも言うが、学校教育のせいだと私は思う。
日本などに比べれば、義務教育のレベルが低すぎるのだ。
戦国時代にある武将が言ったという。
・・・領民は愚かなほど、政(まつりごと)がしやすい。
・・・民は飢えない程度に食べさせておけばそれでよい。
フィリピンの特権階級は、いまだにそう考えているのだろうか。
(以上は私見です)
話がそれた。
虎は死して皮を残す。
このフウテンがくたばっても何も残らない(奥様ゴメン)。
しかし、ボロ屋は膨大な古材木を残したのだ。
シロアリにやられている部分もあったが、ほんの僅かだ。
冒頭画像と合わせ、3つの大きな古材木の山が出来た。
戦前の田舎建築だから、木は全て無垢材。
そのほかにこんな物(これでも全部ではない)もある。
カピス貝を貼った障子(しょうじ)。
現代でも作られているが、非常に高価。
何より、今はこの大きさのカピス貝は中々採れないので、ひとつひとつの升目が小さくなってしまう。
紙じゃなく貝なので、70数年たった今でも汚れを落とせば普通に使える。
薄く削ったカピス貝は、熱帯の強烈な日射しを心地良く和らげてくれるのだ。
(色ガラスを組んだ明り取り窓)
(階段の手すり下のバルスター)
(欄間飾り)
2回の欄間に並んでいた飾り木。
灯りと風を通すための彫り物。
無垢材を使った手作り。
よ~く比べると、1枚1枚微妙にデザインが違う。
(欄干柱と飾り柱)
何度も書くが、これらは現在手に入る同じ物より、ずっと質が良いのだ。
例えば、2インチ×2インチの角材がある。
(ボロ屋から出たのが左、現代のが右。右は型枠に使った為にセメント粉で白っぽい)
問題は太さ、同じサイズ(2×2)のはずなのに違うのが一目瞭然。
しかも左の古材は、現在ではもう高級品の”赤ラワン”(堅く強い)なのだ。
材木だけでなく、屋根トタン、水道管、鉄筋、鋼材、同じ表示のサイズでも年々薄く細く安っぽくなっていると、年配の職人たちは口を揃える。
別件だが、先日買ったスタッフ用の米、1袋『50キロ』だが実際は48キロくらいしか入っていない。
油断のならない国だから、フィリピンは。
ところが、日本の建築業の人に聞くと、フィリピンだけでなく、わが日本でも同様のことが起きているらしい。
マァそれはともかく、フウテンとしては、ボロ屋の供養の為にも、これらの遺物を建材として蘇らせ、活用しなくてはならない。
まずは手はじめに、この良質の古材木で、木製のソファーと門扉を作ろう。
ココだけの話、ボロ屋解体以来、そのタタリで崩した体調がいまだにオカシイのだ。
それに喉の奥にテニスボールが詰まっているような。
ノドにはノド仏というのがある。
仏さまも不満なのか?
いい加減に勘弁して欲しい。
フウテンとしては、体調が悪くなると酒がまずくなるのがこたえる。
やるせないのだ。
よりヒドくなると酒を飲む気がしなくなるから、もうせつない。
奥様よ。
フウテンが逝っちまうときには、死に水ではなく、死に酒をお願いしますです。