初体験のカマド作り・・・1
(借り物の参考画像)
さて、カマド(竈)は、別名『へっつい』とも呼ばれる。
最近の若い人は、カマドで調理したとか、ご飯を炊いた経験はあまりないでしょう。
しかし、ガスや電気が今日のように普及するまでは、煮炊きはカマドが当たり前でした。
それこそ大昔は焚き火のような火で調理したものが、近世的な家屋になってくると、家の中や裏に土間があり、そこには当然のように“流し台とカマド”があったようです。
標準家庭の、『キッチン』でのガスや電気による調理の歴史は、云わば『つい最近』、せいぜい5~60年、かまど調理は悠に千年でしょう。
私事ですが、生まれ育ちが東京23区内ですので、子供の頃は既に電気、都市ガス、水道も今とほぼ同じように存在していました。
しかし、我が家では、ご飯は家の裏のかまどで炊いておりました。
私の記憶では、昭和42年くらいまで。
理由は当時商売をしていたので、燃やすべき物が結構あったからだと思います。
したがって、素直で極めて良い子だった当時の少年フウテン⁽=私⁾も、たらちねの母のお手伝いで、かまどに火を熾(おこ)し、鍔(つば)付きお釜でご飯を炊いたものでした。
その後、世の趨勢(すうせい)に倣い、我が家も電気釜で炊くようになったのですが・・・
そうすると、ご飯の味が、2段階ぐらい落ちたのをハッキリ覚えております。
そうです、かまどで炊いたご飯は、とても美味いのです。
私事ですが、懐かしい話です。
そういう実地体験がありますので、今でも火を熾し、火を扱う事は普通の人より上手い私です。
お陰さまでキャンプ料理などは、お手のものです。
ちなみに、奥様はどうしようもないくらい、火熾しが下手です。
それが『必須科目』のような僻地?、津軽富士の麓でとれたくせに。
しかし、奥様には他に多くの才がありますので、私としてはいっこうに構いません。
むしろ火を熾すことなど、上手くなって欲しくはないのです。
私は、ありのままの奥様で充分満足です・・・(と言っておきましょう)。
ところで、私もそんな少年時代から40年以上経ちまして、あらためて“マイかまど”作りに一念発起いたしたのは、実はもう半年も前のことでございます。
何しろ、現場では木っ端が山ほど出るのです。
これをそのまま焚き火でガンガン燃やしてしまうのは、ホントに勿体ないです。
たまにその火で調理もしますが、普段はただ木屑を燃やし、この暑いのにさらに熱気と煙を撒き散らすだけです。
しかし私フウテン、その名に違(たが)い、最近は石橋を叩いても渡らない性格であります。
前にこのブログで書いたように、過緊張的性格で夜は眠れず、朝4時には目は覚めてます。
深夜、頭の中で、『思案中案件』の引き出しを開け、『カ行』のファイルを開き、“マイかまど”を作っては試し・・・・欠点を見つけては壊し・・・・の繰り返しです。
何しろ優柔不断です。
しかもカマド作りは素人です。
したがって、いつも多くのプランが同時進行しております。
マァ、それはともかく、設計をやっと決めて作り始めました。
ただし、セブ島のド田舎では耐火煉瓦等は・・・ない。
(・・・・続く)