ビーチボーイ&ビーチガールのクロニクル

南国ビーチで、ゼロからリゾートを建設し、営業し暮らした記録です

隣家・・手抜き工事中

(うちのビーチで近所の子供達が遊んでいた)




ウチから徒歩1分のところ(隣の隣の土地)に、家が建ち始めている。


オーナーは、セブ市に住む中国系フィリピン人。


彼も、ほぼ毎日遠くから車で現場に通っている。


大変だが、それはこの国ではほとんどの建主がしていること。


任せきりでは何事も進まないし、図面とは別物の家が出来てしまうから。



ガールフレンドらしき若い女性と同伴で来ることが多い。


マァそういう下世話なうわさ話はいいとして、チョット以下の画像を見てほしい。


その現場を覗いてきたのだ。



(とっくに陽は登っているのに誰もいない)









(ブロック塀は地上12段組というバカ高さだが、鉄筋が少なかったし、控え柱がない)


↑ここまでは、隣の隣のチャイニーズの現場の画像である。




小さな画像で分かりにくいが、全体的に鉄筋が細いし少ない。


横に巻くバンド(状の鉄筋)などエンピツ並みで間隔もやたら空いているのだ。


請け負った業者が経費を浮かすため、手抜き工事をしているのだろう。


残念だが、フィリピンでは普通に行われている。


(逆に建主が値切り倒したために、請負業者が勝手に設計変更?して材料費をケチリ、利益を確保する・・・これもよくある)





比較の為、同時期のうちの現場の画像を下にあげた。



(柱の縦筋は四隅だけでなく計8本で組んだ)


(2階のビームと柱の交差部分・・・これはむしろ過剰と云える)




(主な柱の鉄筋組の下部構造)


(これは屋内の丸柱だが、他の柱同様に深さ2mの穴を掘って捨てコンして立てている)



違いがお分かりいただけるであろうか?


鉄筋の太さや数の違いもお分かりだろうか?



ご近所さんは、柱の縦筋は12ミリ4本だけ、ウチは16ミリ4本と間に12ミリ4本で計8本、近所様のバンドは鉛筆並みの8ミリで(ウチは12ミリ)、間隔は30センチ(ウチは5~15センチ)もある。


”強度”はまるで違ってくる。



上の画像にウチの柱の鉄筋の下部構造が見てとれるが、お隣さんのはまるでオモチャだ。


*例えば直径12ミリと16ミリの鉄筋の違いは、『(たった)4ミリしか変わんないじゃん!』と思う方もいるかも知れない。
とんでもない大違いだ。断面積比(πrの2乗)で云えば、16mmは12mmの1.9倍、つまり約2倍の太さなのだ。当然、価格もほぼ2倍となる。8ミリと12ミリの断面積の違いとなると、もうこれは2倍以上なのだ。





このブログで、うちのエンボイに関連付け、我がクラブハウスの建築スタイルが如何に手がかかっているか(必然的にカネもかかっているが)、随分と書いてきた。


ひょっとすると、読んで戴いている方の中には、


『こりゃ、話半分だぜ』とか、


『どうせブログだから大袈裟に書いているんだろう』


と眉唾(マユツバ)だった方も、いらしたに違いない。


が、これでウソでないとお分かりいただけたと思う。


これでもか!、どうだ!、と言うくらい頑丈な建築なのだ。



私フウテンは、頭が悪いがウソはつかない。


実際のところ、一般のフィリピン建築は、セメントを使った高級住宅でもこの程度の造りなのだ。


セブ島は、日本に比べれば地震は全く少ないので、隣家のような『欠陥建築』でも結果オーライとなっている。


何より、出来てしまえば鉄筋の太さや量、柱のベースの大きさや深さは建物が壊れるか、壊さない限り、もう見ることはできない。


だから『手抜き』が当たり前となっている現状だ。




ところで、田舎で一番多い『天然素材』をふんだんに使用した住宅は、こんなものだ(↓)。







両方ともうちの現場の隣りの『家?』と云うか、人が住んでいる建物である。





ウチの棟梁エンボイに、近所のチャイニーズの家の現場の話をするとやはり知っていた。


エンボイ:(嬉しそうに)「しってる、知ってる。」


「アレじゃ、地震が来たらすぐ壊れるぞ。」


「お金がもったいない。」


これがエンボイの考え方だ。



私は、言ってもどうせ分かってくれないので、無言でいたが。


(じゃあ、上の写真のような普通の家はドウなんだ。)


(地震も何もなくても、壊れそうだぞ。)


(今の建材価格は4年前の倍以上だ。これだけ上がっていくと、頑丈な家を作りたくても作れないのが実情だろう。)


(うちはお前のせいで、過剰な作りだ。)


(だいたい、フィリピンでもよその島に比べれば、セブは地震がほとんど無いと言える。)


(そんなところで、何十年に1回の地震や、何百年に1回有るか無いかの大地震に備えて、なけなしのカネをかけるのはかえって、君の言うところの「お金がもったいない」のだと思わないか。)


(普通のフィリピン人はエンボイのようには考えないよ)


(だいいち、ひとの金だと思いやがって、コノゥ!)



言葉にして言ってやりたいが、まあ石頭のエンボイに言っても無駄だ。



だが、ひとつその内にエンボイに言わなくてはいけない事は、


「お前は、建て主ではない!」


ということだ。



そのエンボイ、昨日から奥さんが病気で入院して、現場に来ていない。



現場の連中は、頭(かしら)が居なくても、サボりはしないがちょっと活気が無い。



そして、こんな野郎(↓)でも見当たらないとやや淋しい、フウテンと奥様である。



(手下のヘタ仕事を、ひとり黙々と修正していたエンボイ大棟梁様)

❝時❞は勝手に流れていく

(セブ市マンダウエのホームセンター)



いつも見て頂き、ありがとうございます。


時は「10数年前」という❝中途半端な❞クロニクルのブログですが、沢山の方に見て頂いて感謝です。


プロフィールにあるように、私どもは5年前に日本に戻り、現在私は前期高齢者という名のジジィ、奥様は相変わらず何かと頑張っています。


子供たちは、それなりに成長しつつあり、私の言う事など一切聞いてくれません。


ほとんど無視されています。


(私と彼らとは2世代違いますから、無理もないでしょう)




さて、再び時間を10数年前に巻き戻します。


(掘り出し物の3灯ペンダント)



(壁照明売り場の展示の一部)




例によって、日曜日はお休みではない。


奥様と二人で買出しの日、昨日は、セブ市。


朝6時半の出発。


照明器具とその他諸々の必需品の買出しだ。


車をチャーターして6時半出発。


3週間前に、時間切れで少ししか買えなかった照明器具とペンキの追加分、その他の小物を買いに行った。


いつものように駆け足で、巨大なホームセンターとショッピングモールのハシゴだ。


奥様Mと2人で、店から店、売り場から売り場へ疾風のように駆け巡った。




セメントや鉄筋、砂、砂利、材木など資材店に電話注文して届けてもらえば、それで済んだ。


しかし、工事が進むと勝手が違ってくる。


資材店には無いものがほとんど。


しかも例えばペンキひとつにしても、色、種類、ブランド、性質など様々で自分で勉強して見て選んで買うしかないのだ。


時に失敗もする。




例えば上の画像。


ボイセンのアクリテックス・リデューサーとプライマーです。


これが何だか、言える方いますか?


私も知りませんでした。



だいたい、種類が多すぎる。


70年代の住宅用塗料は、油性か水性か、ツヤありかナシか、その程度だったと思う。


今はずっと複雑で、機能別、段階別でココに書くのさえも煩わしいくらいなのだ。


また比国では、ヨーロッパやアメリカのブランドが豊富で、同じ目的のペイントでも呼び方が違ったりして、フウテンのようなジジイには、驚くことばかりだ。


とにかく毎週、予備知識を蓄えてからエッチラオッチラ、買出しざんまいだ。




しかし、この買出しも、始めた頃は夜帰還すると『もう、ヘロヘロ!』になってしまったが、この頃は、帰りの車中で、奥様と次の買出しや月曜からの現場の作戦会議をするほど、余裕のヨッチャンだ。


『慣れ』というのは、すばらしいことだ。


だが、ただ『馴れた』だけで、私が進歩したとか、体力がついたとか、そういう事ではないと思う。



むしろ大変なのは、フウテンに付き合い振り回される奥様である。


私は「団塊世代のミソッカス」であるからして、休日無しの ❝月月火水木金金❞ 的生活には経験と耐性がある。


が、奥様はそうではない。


奥様の世代は、私の世代とは半世代違う。


東京オリンピック後の〈高度成長期〉に生まれた世代なのだ。




例えば、小学生の頃、発熱とか病気なのに学校へ行ったとする。


フウテンの時代は・・・


「えらい!よく我慢して学校へ来た。」


「根性があるぞ!」


「みんなもフウテンを見習え!」


と誉められたものだ。



奥様の時代は・・・


「なぜ、来たの?」


「熱がある時は、薬を飲んで家で寝てないとダメよ。」


「すぐ、帰りなさい。」
(ナンカあったら、先生が困るから。)


とまるで正反対の時代だ。



それに、いつもセブの田舎でクスンでいる奥様が、都会のモールなどに行けばどうだ。


買えないまでも、あちこちの洒落たお店やブティックを見たり、女らしい買い物の楽しさを満喫したいだろう。


ところが実際はドウだ。


ゆっくり食事する暇も無い。



今日のお昼は、途中の日本食レストランで、カツどん、味噌ラーメン、餃子を2人で分けた。(週に一度の贅沢だ)




埃っぽいホームセンターで特殊な釘を探したり、壁下のモウルディング材を検討したりで、デパートに行っても、おしゃれ着やアクセサリーに、物欲の溜め息をついたり出来ないのだ。



フウテンは、心の中では三つ指ついて奥様に謝っているのだ、いつも。


くちでは、「早く食べよう。次は壁の照明を探すから・・。」


「どうせオシャレな服を着る生活なんか、もう縁がないんだよ・・・」


・・・とか言っているが。




クラブハウスが出来たら、ゆっくりと《普通の》ショッピングに来よう。


・・・とかお茶を濁したり。



(真実は、違う。 クラブハウスが終われば、引越しやコテージ建設、その他ごちゃごちゃがあり、バタバタ劇は果てしなく続くのだ。)


「欲しがりません、勝つまでは!」とか訳のわかんないこと言ったりして。


奥様の頭を混乱させて。


私の言いなりになってもらっているのだが。




ところが、奥様も抜け目がなかった。


小娘とは違う。


巨大モールを出て帰還の途に着こうとしたとき。


私はチョット隙を突かれてしまった。


奥様はササッと出口の脇のスターバックスに駆け込み、お好みのドリンクをせしめたのだ。



車の中で嬉しそうに、満足そうにストローを使う奥様を見て、私はちょっとホッとした。



(・・・・いつもありがとう)