”絶望な”気分になった
(雨の日の現場風景)
台風の影響で、雨が降っていた。
台風被害が出ることは滅多に無いのだが、揺れる木の枝で電線が切れ停電する。
フィリピンでは良くある話。
さて名人:ロッキーが、キッチンのタイルを貼り終えた。
タイルを買った時はちょっと派手かと思ったピンクタイル・・・・OK。
模様がきれいだ。
(一人黙々といつものロッキー、日本でも同じだが腕の良い職人は無口だ)
(コーナーがあちこちにあるので、ガラ合わせは困難なのにさすがの出来栄えだ)
そこで今度は収納、キッチン・キャビネットだ。
キッチンのキャビネットの製作で、彼らの技量をチェックすることにした。
担当は、木工が上手く『キャビネットなどオチャノコサイサイ』、というDとVの小柄コンビ、エンボイが選んだ。
引き出し用のレールセットと戸棚用のキャビネットヒンジは、奥様と私ですでに買い求めてある。
これらヒンジとレールを見せて、キャビネットのプランをエンボイとDとVに説明した。
キャビネットは、上部が引き出し下部が開き戸という、ごく一般的なデザインだ。
念のため、ドアヒンジと引き出しレールの取り付け方も説明した。
2人とも長いこと大工をやっている(はず)なので、いくらなんでも、簡単なキッチン・キャビネットくらいは作れるだろう。
そう考え、他の作業をチェックして、私は暫しキッチンから遠ざかっていた。
キッチンの様子を見に行くと、キャビネットのフレーム用の木を取り付けていた。
金づちがふらつきタイルを打ったのか、せっかくのタイルが破損している。
誰しもミスはする、しかたない。
それよりフレームを作り終わっているのだが、どうもオカシイ。
木枠フレームの面(ツラ)が出すぎているのだ。
堅苦しい話で申し訳ないが、キャビネットヒンジには、下の写真のように主に3つのタイプがある。(当時の現地でも)
(占めた時の扉の位置、角のところを見れば違いが分かる)
(これは開けた時)
上側の写真で言うと、上方の板が扉である。
ヒンジの形によって、
1.扉が側板に完全にかぶさるタイプ。
2.扉が側板に半分かぶさるタイプ。
3.扉が側板に完全にかぶさらないタイプ。
の3種類だ。
扉を開けたときの写真がその下だ。
お分かりいただけるだろうか?
これらはヒンジの側板側のアームの形状で区別できる。
別のサンプルで見るとこんな感じだ。
(上はハードウエア店にあったサンプル)
私は、一番施工が簡単な、[1.扉が側板に完全にかぶさるタイプ。]を買って彼らに渡し説明したのに。
彼らは、[3.扉が側板に完全にかぶさらないタイプ。]の扉と側板の位置関係で、やってしまったのだ。
私が指摘すると、彼らは「ノ~、プロブレム!」と言い張り、あわてふためき、必死になって、大汗かいて、穴を開けなおしたりヒンジの位置をずらしたりしようとする。
だんだん木枠が穴だらけになり、とりとめもつかなくなる。
そんな事をいくらやっても無駄なのだ。
ちょっとアタマにきて、
私:「止めー!、ヤメー!、エンボイを呼んで来い!」
エンボイが来た。
私:「どうなってるんだ、エンボイ。だから作業の前にみんなにヒンジを渡して施工法を説明したろ、全然聞いてないようだったけど。この2人は何も知らんじゃないか。」
エンボイがさかんに彼らに何かビサヤ語で説明するが、その時点で私は理解した。
エンボイも含めたこの3人は、『キャビネットヒンジ』を使ったキャビネットは、初体験なのだ。
彼らが、今までの人生で見聞きした、あるいは製作したキャビネットは、昔から有るいわゆる下の写真のような蝶番式のものだけなのだ。
もうこうなったら、ノーチョイスだ。
彼らが作ってしまったタイル面とこの側板と扉の位置関係では、上の写真の古来の蝶番しか使えないのだ。
今更やり直しは、できない。
[3.扉が側板に完全にかぶさらないタイプ。]、のヒンジを買い直せば使えるかもしれないが、あまりに下手な他の部分の作りを見ても、そんな大冒険をする気は起こらない。
古来の『蝶番』に設計変更だ。
(結局こうなった)
フィリピン人全員とは言わない。
しかし、かなりのフィリピン人は、自分が知らない事でも知らないとはまず言わない。
知っているフリをする。
知らないから教えてもらいたい、学びたい、という向上心のある謙虚な姿勢はあまりない。
『聞くは一時の恥、知らぬは一生の損』?・・・だっけ?日本にはそんな言葉もある。
私が、ヒンジの包みを渡したときでも、自分から開けもしなかったのは、おそらく『無知』がバレるからだったのだろう。
自信を持つことは良い事だが、過剰な自信や思い込みは、自らの進歩の妨げとなる。
同じ島国なのに、日本人がその昔から、他から学ぶ意識が強かったのとは、大違いだ。
たとえば、1500年前の日本人は中国から漢字や仏教を取り入れ、独自のひらがな、カタカナを考案し、更に日本の優秀な(世界に誇れると私は思っている)文化を作り上げた。
『極東の島国』のゆえか、いつの時代にも日本人は度が過ぎるほど、よそ様を気にしてそこから何かを学ぼうとしたようだ。
かなり前だが、シンガポールが『日本に学べ!』(ルックイースト)というキャンペーンを国を挙げて推奨したことがある。
代々フィリピンの大統領は、『フィリピン貧しい、援助ちょうだい。』という外交が得意だ。
しかし、あの国のあの点がすばらしいから、取り入れたいとかマネをすべきだ、学ぶべきとか、宣言し実行したという話は、聞いたことが無い。
この国民性では、もしそんなことを言ったら大衆の支持を失うだろう。
現実として、私はフィリピンで(この時点で)十数年生かされている。
この国や人々の悪口は、言いたくない。
しかし、フィリピン(人)のこういうところは、やはりあまり好きになれない。
「工事を委託せず、都会から腕のよい職人を呼ばず、、『村おこし』、『町おこし』のように地元の村人だけで、ちゃんとした家を作る」、という私ども夫婦のプラン自体が無謀だったのだろうか?
それはただの夢物語だったのか?
このあと更なる、『天を仰ぐ』ことが・・・・続く。