私は椰子の木になりたい
獲った椰子の実を、ほったらかしておく。
(ここで言う「椰子」は、一般的なココナッツの実のなる”ココヤシ”の話です)
すると、緑色の椰子の実が枯れて、やがて茶色になると、画像のように芽が出てくる。
それを地に植えしばらくすると、グングンと7~8枚の葉が伸びる・・・まだ幹はない。
成長し古い葉が枯れ落ち始めると、幹が形成されてくる。
が・・・このくらいでは実はまだできない。
幹が3メートルほどの高さになると、花芯を出して実が成りはじめ、やがて高さ20メートル以上にも成長する。
上の画像では、左上に実がいくつか見えている。
熱帯の海仕事に憧れ、脱サラして、フィリピンに来て10数年、ダイビングインストラクターという職業のせいか、今までフィリピンの海にばかりに目がいってました。
ところがリゾート建設にかかわるようになり、改めて、ヤシの存在の大きさに気が付いた次第です。
椰子の実から芽が出て成長し、やがて実を付けるに至り、その実を食すまで、生活の中の一部となっておりました。
あるいは、植え替えて椰子の成長を楽しみ、はたまた、老木を切り倒して心を痛めました。
人々の暮らしに深く関わり、様々な恩恵をもたらす椰子の木については、このブログでも拙い文章で申し上げてきましたので、今回は言いません。
申し上げたいのは、椰子の木の、あるいは椰子の葉の“揺れる様”です。
じっくり見ると、これが実に風雅なのです。
晴れて風のない日でも、眠っているようで、ちらと身じろぎするように葉を揺らす。
あるいは、風の日に、波がうねる様に葉が複雑なダンスをする。
風が強いと、高さ20メートルをゆうに越す椰子の木が、幹をたわませて風をしのいだり、見ていて飽きません。
日本の樹木にはない”風情”だと思います。
私だけかも知れませんが、心癒されます。
食事中など、気が付くと窓の外の椰子の木に見とれて、ボ~ツとしている時があります。
奥様は、私がとうとう“恍惚の人”になってしまったかと、思っているかもです。
世界中では、何十億本も有るだろう、椰子は木としては個性的です。
椰子の木は、生長と共に⁽古い⁾葉を落としていくので、先端にしか葉はありません。
『枝』というものも、ないのです。
真っ直ぐに、時にはせり上がるように曲がりながら、幹一本で天頂を目指します。
先端だけに、どっさりと葉と実をつけて。
いくつになっても腰が定まらず、あちこちとフラフラする私フウテンにとっては、好ましい、大変潔(いさぎよ)い生き方のように思えます。
人として、見習いたい生き方と感じます。